体重減った

ついにスーツのズボンのベルトが最後の一穴になってしまった。
つまり、太った。


ダイエットをしようしようと思いながらどうしても夜ごはんをがっつり
食べてしまったり、お酒を毎日飲んでしまったりと、意志の弱さが腹に
見事に表れてしまった。


とりあえず夕飯を減らした。
それでもデブ街道は収まるところを知らない。


しかたなにので次に、運動。ジムに行くお金はないので走った。
走るときに出来るだけ厚着、しかもゴミ袋に首と腕が通るように穴を
あけ、かぶって走った。
この暑いときに上4枚、下3枚着て走る。なんていうか暑さフェチ以外
の何者でもない状態。
もう、暑い暑い。
汗だくだく。
ほんと久しぶりにこんなに汗をかいた。
コレだけ汗をかけば!と思い、体重計に乗ってみる。




・・・







!!!



なんと800グラム減っている。
800グラムって微妙な数字だけど10日やれば8kgですよ。
ヨシヨシ。
あとはちゃんと続けば、いいんだけど。
続ければ。


続くのかな、、、

オフライン

最近オフラインなんです。
11月10日に引越しをしたのですが、それ以来ずーっと。
会社ではオンラインだけどちょっと私用のネットはNGな雰囲気なので控えてます。
なのでほんと、オフライン。


オフラインになって電話をすることが多くなりました。
何か調べるにも104に電話して電話番号を聞いて、で、電話して聞くとか。
あのお店が何時から開いているかとか何時までやってるかとかそういうのも全部電話して聞く毎日。
床屋の営業時間とか聞いたりしてます。
そういやこの前友達の結婚式会場、場所をチェックするのを忘れてて、でもネットないし、しょうがないから104。電話番号だけじゃなく住所も押さえててとてもたすかるんですわ。
おかげさまで行けました。


ネットも便利なんだけどオフラインになったことで人とのコミュニケーションが戻ってきたことを知り、なんだかうれしくなりました。なんか、そう、懐かしい感じ?

ちょっとした喜び

1年ぶりに日本に帰ってまいりました。
北京から成田までの飛行機に北京で勤務していたもうひとりと一緒に帰ってまいりました。
さて、1年ぶりの日本、機内でおつまみをもらっては「日本のせんべいだ〜」と騒ぎ、
ビールを頼んでは「エビスだ〜」と騒ぎ、
機内食においては「日本風の味付けのうなぎだ〜」と騒ぎ、
なんとも痛い人達になってしまっておりました。


食事も終わり、少し落ち着いたところ、フライトアテンダントの方が突然ドリンクを持ってきました。条件反射で机をだしてドリンクを置いてもらい、「え、たのんだっけ???」と目をぱちぱちさせていると、紙になにやら書いてよこしてきました。
紙を見て驚きました。
「帰国祝いのシャンパンです。:)」


いやーうれしいです。
なんていうか、嬉しさもひとしおといいますか、こういうので傾きますね。
嬉しかったです。そしてこういう気の利かせ方が出来るのってすごい、と思いました。


というわけで天津の1年の生活はなんとか終わりました。
天津の1年間は正直何も思うようにうまくいかず、空回りしつづけ、成果があったのか正直なところ疑問ですがどちらにしろとてもよい経験となりました。
日本の皆様、今後もどうぞ宜しくお願いします。

北京の現代アートたち

1950年代に海外の技術を取り入れて北京郊外に作られた工業団地。工場としてのお役目を終えた今、現代アートのギャラリーにリノベートされ、新たに脚光を浴びているようです。
大山子798芸術区という場所で北京の中心から少し空港の方に行ったところにあります。
工業団地をほぼそのまま使っているせいかパイプとかむき出しのままで雰囲気満点です。



カフェとかもあったりして

さすが北京です。
外人のお客さんが多かったように思います。特に西洋人。かなりの割合を占めてたように思います。
それにしても昔の工場をほぼそのまま使っているところがまたすごい。

壁に毛沢東万歳!のスローガンが残っていたり。

工場の中の展示はこんな感じ。

入り口や階段もいい感じ

工場がぎざぎざのやねなのは光をとる窓をつけるためだったということを初めて知りました。

屋外の彫刻???もいろいろありました。

ジオングみたいな銅像もあったりして。

文化大革命の時代をパロディーにしたようなものが目立ったように思います。毛沢東万歳!を消さずに残していたり。壁のいたるところに社会主義国家に共通する「☆」マークをつけていたり。

工場と工場の間にちょっとした休むところがあったりして



テーマパークみたいで楽しかったです。
全体的に見た感想ですが、中国人芸術家の作品はやはり中国らしい表情にあふれていました。
ふくらみのある(ちょっと太めな感じ?)女性像や赤を多用した色彩や、中国らしいくすんだ空の色や、社会主義的な労働者を髣髴とさせるぼろぼろの作業着を着た男性の彫刻や、日本人ではあまり考え付きそうに無い発想にあふれていました。
文化大革命で根絶やしにされかかった中国の芸術がここからまたそだっていくんだろうなーと思いました。


久しぶりにとりまくったロモの写真が出来てくるのが楽しみ〜

早いわけではないけど激的な変化

天津にいてそろそろ1年になりますが、この1年だけでもずいぶん変わりました。
特に道は本当に変わりました。1年前の地図はすでに役に立ちません。
交差点で車が我先にと飛び出し、追い越し追い越されする中を自転車がまるで秋の落ち葉みたいにひらひらと隙間を縫って進む、みたいなちょっとしたカオスは高架道路が次々と完成したおかげで消えていきました。
区画整理も進み、1年前にあった建物で今はもう無いものも少なくありません。
毎晩食事をしていた24時間営業のラーメン屋がある日夜店を閉めていたので「おかしいなぁ」と首をかしげていましたが、その次の日には解体されてなくなっていました。聞くところによれば渋滞緩和のために道を広げるからつぶしたとのことです。


確かに高架道路はできたし、道も変わったし、建物もずいぶん解体されたし、いろいろ変わってはいるのだけど、イマイチ変化にスピード感を感じないんです。のろい印象がとにかく付きまとうんです。
ひとつは中国の工事現場の光景にあると思います。
中国の工事はほぼ人力で作業が進みます。竹で足場を組み、縄と袋で資材を運び、人がスコップやハンマーのような電気を使わない工具で作業を進めています。工事現場の作業員の人数は日本の日では無いくらい多いです。でも、それでも人力で進めているせいかとっても遅いです。
うちの会社の入っているビル、1年間改装工事をしています。すべて人力で。まだ終わってない…
もうひとつは工事への投資、資金の問題があります。
商社の方から聞いたのですが、中国の人は資金が手に入るととりあえず建設を始めるそうです。
で、資金が足りなくなったり、ほかの事に使う必要が出てきたりすると建設を一時ストップします。ストップしたまま方っておかれることもしばしばです。こうして建設中のまま風雨にさらされているつくりかけのビルが天津のあちこちにあります。うちの会社のビルのはす向いにある建設中のビルはもう1年間「建設中」のままです。
「やっぱやめた」「ちょっとまって」「またあとで」「やっぱやろう」と意思がころころ変わるのでビルの建設はスムーズには行かず結果として時間がかかってしまいます。


これからオリンピックに向けて天津ものろのろと変わっていくんだろうと思います。
一つ一つの変化のスピードはゆっくりですが、一度にたくさんの場所で変化が起きているせいか、結果として劇的な変化をもたらしています。2年後くらいに天津にきたらきっとどこがどこだか分からないくらい変わってしまっているんだろうなぁ、と思います。
日本に帰ってから少し間をおいて中国に来て、その変化っぷりを見るのをいまから楽しみにしてます。