「たまちゃんがいないの」

家に帰ったら弟とお母さんがテレビもつけずに居間でしんみりしていたのでどうしたの?ときいたら
「たまちゃんがいないの」
だってさ。


妹が4月から勤務先の寮で暮らし始めたせいで家からいなくなりました。いなくなったといっても寮が東京にあるからすぐに帰ってくるしそんなに距離的には遠くないんだけど毎日いたものが突然いなくなると寂しいものがあります。
むかしこんな話を雑誌で読んだ記憶があります。

母親に育てられ、兄弟も無く、まだ奥さんもいなかった頃、突然おかあさんが亡くなった。でもその頃は仕事が忙しくて悲しみはしたものの実感もわかずにいたらしい。でも、2年ほど経って仕事も落ち着いてきたある日、家でテレビをぼーっとみていたら台所から「かちゃ」と食器が物音を立てたのを聞いて「お母さん?」と振り向いた、とその瞬間に初めてお母さんがいなくなったことを実感して大泣きした。



日常がなくなるということは寂しいものです。でもそんなに悔いがのこってたりとかするわけでもないし。よく一緒に遊んだからねぇ、大きくなっても。楽しい、と感じる日常は少しでもおもいっきり謳歌しておくことが後悔しない人生の秘訣なのかもしれません。
とはいっても又すぐに来たり帰ったりするし死んだわけじゃないし「さみしい」とか言うこと自体が大げさといえば大げさなんだけどね。
こういう風に大げさでもとりあえず家族仲良いのは自分でも誇りに思うことです。