目黒川の精

愛地球博が開催中なので環境がらみのお話を一つ思い出した。

それはかれこれ18年位前のお話。僕がまだ小学校低学年の時でした。
当時、僕は学校が都内にあったせいで電車通学をしていました。東急東横線で横浜の自宅から中目黒を通って東京の学校に1時間くらいかけて通ってました。
夏が終わり、夏服から冬服に制服が切り替わった頃、僕はちょっと遅めの時間に下校しました。その日は国語の先生が授業で見せてくれたカラスウリの種が欲しくて欲しくて、その先生のところに行ってずっとおねだりをしていました。「カラスウリ」は当時好きだった銀河鉄道の夜宮沢賢治著)のアニメ映画で出てきていたので名前は知っていました。でもどういうものか知らない上に「ウリ」という植物が身近に無かったせいかその存在が気になって気になってしょうがなかったのです。その先生のところで色々な植物の話を聞いていてあれこれ聞いていたら、いつも間にか日が傾き始めて窓の外が紅く染まっていました。もちろん教室に帰ってもみんな帰ってしまっていてだれもいません。一人で黙々と下校の用意をしていると、突然聞いたことの無い「下校」の鐘が鳴り始めました。上級生も全員かえる時間になる鐘だそうです。すこし怖くなって僕は急ぎ足で学校をでました。ただ先生から「お財布に入れておくとお金がたまるよ」といわれて貰ったカラスウリの種はしっかりお財布に入れて持っていました。
僕は一人で帰ることになりました。当時は授業は3時前には終わり、登校も下校も友達と一緒だったので一人で、しかも夕暮れ時に下校することが新鮮でもあり、ちょっとさびしく、またちょっと怖くもありました。
地下鉄の駅から数駅で中目黒の駅に着きます。ここでいつも桜木町行きの電車に乗り換えて自宅へ帰ります。乗った電車が中目黒止まりだったのでドアが開くと電車からいっせいに人が出て、車内はもぬけの殻になりました。空っぽの電車が夕暮れの中をとぼとぼと寂しそうに車庫に入っていきます。夕方になると同じくらいの年の子供はもう駅に居ません。一人でさびしく大人の波の中で電車を待つことになりました。
いつも中目黒の駅では○○という喫茶店の看板の左端の前に立って待っていることにしています。なぜならそこが一番自分の降りる駅の改札口に近いからです。地下鉄を降りたところがそこからちょっと離れていたので「看板」前まで歩いくことにしました。スーツを着た大人や会社帰りのOLがほとんどでその谷間を抜けるようにして「看板」を目指しました。
看板に行こうとしたらホームにある水のみ場で苦しそうにしているおばさんが居ました。毛糸でできたふちのついた帽子をかぶり、カーディガンを羽織った40歳半ばのおばさんはときどき胸に手をあてたり、口をおさえたり始終苦しそうにしていましたが、突然苦しそうなうめきごえをあげて吐き始めました。
「うわっ」
と思ってよけようとしましたがおばさんをもう一度見たときに僕は驚いておもわずじっくりと見てしまいました。おばさんがくちから吐いているのはよくあるような「ゲロ」ではなかったのです。ねばーっとした川底の藻のような濃い緑色のつやつやした液体を吐いているのです。液体が吐き出されるたびにものすごい臭いが立ち込めます。鼻につくどころか頭が痛いようななにか化学薬品のような強烈な臭い・・・。僕はいそいでその場を立ち去ろうとしました。でも大人の波がはげしくてなかなか「看板」にたどり着けません。
そうこうしているうちに一人の「大人」がおばさんに近づいていきました。そのころにはおばさんはすっかり吐き終わっていて口をハンカチでぬぐっていました。地面にはたっぶりと吐き出された緑色のねばねばした液体が表面張力で引っ張られてすこし盛り上がっていました。あろうことかその「大人」はおばさんのことなど見向きもせず緑色のねばねばした水溜りをぐしゃっと踏んで足早に去っていきました。おばさんはまだまだ苦しそうです。
またくるしそうな唸り声が聞こえておばさんが吐き始めました。その頃にはもう中目黒の駅中にその臭いが充満していました。やっとのことで看板にたどり着いた僕はそのまま電車に乗って家に帰りました。その電車もおばさんの吐いたものの臭いがしていたのでずっと鼻を抑えていました。臭いが気になって折角手に入れたカラスウリの種のことなぞすっかり忘れていました。
それ以来、中目黒の駅に降りるとおばさんの吐いたものの臭いがします。おばさん自身はもういないのですが、臭いだけはずーっと残っているのです。中目黒の駅におりたときはいつも息を止めるようにしていました。やがて時が流れ東京の小学校を卒業し、横浜の中学校に進むことになったぼくは中目黒の駅を使うことはなくなりました。次第にあの臭いをかぐこともなくなってきました。次第にそのおばさんのことも、あの臭いも記憶から遠のいていきました。


時は過ぎて大学3年生の春。ゼミで新入生の歓迎会がありました。参加した僕はいろいろな先輩方と話しながらふと中目黒のおばさんの話を思い出しその話をしてみました。すると先輩の一人がおどろいて話し掛けてきました。
先輩「俺もその話聞いたことある。」
僕「え、○○さんも見たんですか?くっさいですよね、あのゲロ」
先輩「いや、俺じゃないんだけど俺の友達が小さい時に大崎広小路の駅でみたらしい」
僕「じゃあ別モノですね。」
先輩「そうかな」
僕「僕は中目黒ですから」
先輩「でもどっちも駅のすぐ近くを目黒川が流れているよね」
僕「そういえば川があったような」


家に帰って地図を見たら確かにありました。目黒川。それを聞いて思いました。あのおばさんは多分目黒川の精だったんじゃないかと。
昔はきっときれいな人だったんでしょう。でも環境が汚染されて、川のほとんどは暗渠化され、自然な川原が無くなってどぶ川になってしまった目黒川の精はどんどん老けておばさんのすがたになってしまったんだと思います。それで時々中目黒の駅で体にたまったヘドロや汚物を吐き出していたんじゃないか、と思います。
何がともあれ環境破壊の生んだ目黒川の精の苦しみ。


気付いた時にはもう中目黒の臭いはなくなっていました。
多分どこにでも「精」って居るんだと思います。主とかなんとかいろいろ呼ばれながら甲斐甲斐しく自分の場所を守っているんだと思います。例えそれがもう埋め立てられてなくなっても。


というわけで環境に絡んだ昔話?でした。ちゃんちゃん。


↓参考までに中目黒と大崎広小路と目黒川の地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.37.49.724&el=139.42.51.637&la=1&sc=4&prem=0