さよなら「みーちゃん」

みーちゃん

家のドアを空けるとき、我が家の誰もが気をつけることがある。


「猫が出て行かないようにドアをすばやく閉めること」


我が家の猫は10歳を越えたあたりから少しずつ老化し、少しずつ狡猾になり、そして少しずつ弱ってきた。一度病気をしたときに獣医に「あんまり外に出さないでください。変なものを食べますから」といわれ、それ以来心配性の母親が絶対に猫を外に出すまい、と懸命になっていた。そんな心配をよそに猫は日に日に狡猾さを増し、母親の心配そっちのけですきあらば外にでてやろうと狙っていた。
奴は玄関の靴箱の裏、玄関脇の部屋の影に息を潜めて誰かの帰りを待っている。そして、ドアが開いた瞬間、そ〜っと足音をたてずにドアの外に出て隣の家の柵の向こうに滑り込んでしまう。柵の向こうは手が届かないからみんな手の尽くしようがない。あきらめて家に入り、ふっと息をつくとまもなく外からにゃーにゃーと声が聞こえてくる。時にはうるさく、時には甘えて、時には冷静に泣き続け、あの手この手でドアを開けさせようとする。とにかくうるさいのでドアを開けてやるのだが、ドアを開けるとまだちょこっとしかあけていないのに、せまーい隙間の中から音を立てずに、ものすごい速さで家の中に入ってくる。そして何事もなかったように家の中を闊歩して背中で語る。「ん?私ずっとここにいましたわ」というおしゃまな言葉をのこして自分の「ナワバリ」である居間の古い椅子の上に飛び乗る。


今日も仕事が終わって、夜中に帰宅。鍵を開けてさっと家の中に入り、すばやく閉めた。周囲を伺う。いつもなら絶対にどこかに隠れてる。家に入ってまずすることは猫の居場所を探すこと。外に出てたら帰ってくるまでおきててやらないといけないから。
でもそんな心配はしなくて良かった。今日みーちゃんが死んだ。


会社から帰るとき、母親からメールが入った。「今、みーちゃんが天国に旅立ちました」。前々から覚悟をしていたことだったし、昨日一日生き延びたのも不思議なくらい弱っていたので正直そんなに驚かなかった。
家に帰るときいろいろ思い出したり考えたりした。みーちゃんが最初に家に来たとき。目がいやにぎょろっとした猫だな、とおもった。正直かわいくなかった。飼い始めたときから性悪で、小さかった弟をしょっちゅうからかっては泣かせていた。ピアノの上から弟めがけて飛び降りたり、待ち伏せしていきなり出てきて驚かしたりやりたい放題。母親が怒ってもしらんぷりでめんどくさそうにしたり、無視してすたすたとどこかにいってしまったり。とにかくアウトロー、一匹狼、クール、という言葉のよく似合う猫の中の猫だった。
そして年をとるにつれて年々狡猾さを増し、いやに人間臭い頭の良い猫になっていった。猫アレルギーのお客さんが来たとき、トイレに猫をいれてドアを閉めておいた。お客さんも安心して和やかに過ごしていた。安心していたらお客さんがくしゃみ。みーちゃんが足元にいた。どうやら自分でドアノブをあけて出てきたらしい。棚からノブに飛びついてしがみつき、体の反動でノブを回してドアを開ける、なんて芸当をやったらしい。(あまりに信じられなかったので、後日トイレに猫をいれてしばらく置いておいたら、ほんとに一人で出てきた。)
5年前から犬を飼い始め、我が家が猫の独壇場でなくなってから、やや勢いは衰えたが、それでも犬に知能戦を申し込み、高い位置からの猫パンチをがんがん決めていた。犬は甘えん坊だからすぐにだれかに言いつけに来る。それをみて猫は「ちっ」と舌打ちしたような表情でナワバリの椅子の上からこっちを見ている。
最近はボケがすすんできて、なんでもかんでも忘れてしまうボケ老猫になってしまっていた。食事しても忘れてえさを出されただけ食べる。水も延々と飲み続ける。えさの見分けがつかず、ごみでも何でも食べてしまう。とにかく手のかかる猫になっていた。でも相変わらずつん、としてクールさを保ち、甘えを絶対に見せなかった。


本当にかわいげの無い猫だったが、そこがまたちょっとかっこよかったりして、我が家でみーちゃんのことを嫌いな人はいなかった。猫独特の狡猾さでいつも楽しませてくれたし、たまに甘えてきたりしてちょっとうれしかったりしたこともあった。だから居てよかった。ちょっと自慢だったりした。
ただ、今思うと申し訳ないのが、我が家が海外にいた4年間のみーちゃんの境遇。ずっと動物愛護団体の世話になっていたのだが、生活の場はかごの中という過酷な4年間だった。出所してからしばらく、みーちゃんは外を必要以上に怖がった。やがて慣れて必要以上に行きたがるようになったが、それでも体中をぶるぶる言わせて懐の中に顔をうずめて怖がっていたみーちゃんをみて、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。猫の4年間は人間の何年間に当たるんだろう。その貴重な時間を檻という最悪な環境ですごさなくてはいけなかったということはとってもかわいそうだった。


今、みーちゃんはあいかわらずつん、とした、でもいつもよりもちょっと安らかな顔をしてナワバリの椅子の上で寝ている。犬にも脅かされず、みーちゃんが唯一落ち着ける場所。普段寝ているときになでると思いっきり引っ掻くので、なでたら引っ掻かれそうな気がしたけど、ちょっとなでてみた。さすがに引っ掻きはしなかったけど、伸びきった手をみたらしっかりとがったつめがでていた。やっぱり嫌らしい。なんだか名残惜しくってずっと見ていた。見ていると、いつもみたいに大あくびをしたり、顔を手でなではじめたりするんじゃないか、と思ったけどやっぱり動かなかった。明日の朝、動物愛護団体の焼却炉に持っていくのでこれが最期のお別れ。


さよなら、みーちゃん。本当にありがとう、みーちゃん。


[写真]みーちゃん。お気に入りの寝床でお休み中に写真を撮ったのでかなり不機嫌。ていうかいつも不機嫌な顔してた Nikon FM3A F2 1/60 ISO400