熊野の旅4日目

C_Wang19802005-01-09

今日はほとんど移動。湯の峰でだらだらしてから紀伊田辺駅に向かうバスに乗る。
田辺市は何にも無い。
鶏を祭った神社があったのでそこに行った。その名も闘鶏神社。能書きは下記の通り

闘けい神社は、壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社です。闘けい神社の名の由来は、平家物語壇ノ浦合戦の故事によるもので、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものです。境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があります。

今年の干支なわけだし結構縁起物だと思う。


さて、田辺から今日の目的地湯浅に向かう。醤油発祥の地、そして古い日本の風情が残るところらしい。楽しみだ。

湯浅

駅を降りると音がしない。街はあるのに音がしない。不思議な感覚。
駅のコインロッカーに荷物を入れて散策に出る。適当に歩いていくと、急に道幅が狭まる。駅前の通りしか広い通りがない。ほとんどの道は歩道で車が通れる道といっても軽自動車がやっと。区画整理をしていないのだろう。昔の建物がとてもよく残っている。
日曜日であるせいかどこも閉まっている。この町の最大の見せ場である醤油屋さんも定休日。建物の前を通る。ああ、今日は休みなのか・・・と思いつつ、ドアを開けてみると開くではないか。入ってみると商品が並んでいる。呼んでみる。いた!!!
買ってみた。すっごい楽しみ。
ついでに金山寺味噌屋さんにもいった。やっぱり休みの日なのにやっていた。一番小さいの下さい。といったら、空の折り詰めをもってきて、味噌を詰め始めた。味噌を詰めると丁寧にシールをはり、包装紙で包んでそこに「和歌山特産」とか「推薦」とかいろいろシールをはり、お土産らしい姿にして渡してくれた。お土産屋で並んでいるお土産の成り立ちを見ることが出来た。ちょっとうれしい。

高尾山へ

そこから電車に延々と乗って高野山へ。
ケーブルカーや南海電鉄を乗り継いで高野山の駅についた時はもう7時を回っていた。バスに乗って泊まるところの近くまで行く。バスを降りてさあ歩こう、と思いきや街灯が無い。真っ暗。雪は降っているし、滑るし、転んだらどうしようと思った瞬間にこけた。すりむいた。いてぇ。おそるべし高野山
とりあえず明かりのあるほうへ歩いていく。
普段都会で明かりに囲まれてすごしていると暗闇がとてつもなく怖い。うしろから黒い、大きな手が覆い被さってくるような気がして何度も振り向いた。足元が見えないのではしれないので生殺し状態。ようやく明かりのあるところにつくとそこが泊まる蓮華定院という寺だった。門には真田家の六文銭の紋が書かれたちょうちんがぶる下がっている。厳粛な場所だった。
門をくぐるとお坊さんが迎えにきてくれた。
「今日お泊りの方ですか?」
「はい」
「じゃあこちらへ。」
ちいさな部屋にとおされる。厳粛なのかと思いきやものすごい砕けてる。手馴れた様子。ちょっと拍子抜けしたりする。
部屋に案内してもらう。廊下(屋外)を通り、2階の和室に通された。金屏風の関西な部屋。暖房が3台フル稼働で部屋を暖めていた。外はマイナス5℃。たしかに寒いけどね。
その後に夕飯を食べる為、1階の8畳間へ。部屋の真中に膳と座布団が置いてある。部屋がすごく広く感じる。食事は色鮮やかな精進料理。あっさりしていてでも味はしっかりついている。偽者のイカ、偽者の穴子、偽者の鶏肉など偽者尽くしだった。結構暴いていくのがたのしい。


食後は着替えて風呂に入る。
ふろは普通の家の風呂を大きくしたくらい。一緒に入っていたお坊さんといろいろお話をした。さぞかし朝早いんだろうと思いきや6時に起きるらしい。おんなじじゃん。で、寝るのは12時ごろ。意外といい生活です。体格もよく、健康そのもの。仏教健康法なんてあるのかね??


異常なまでに静かな夜、部屋に設置されたビデオデッキで高野山のことを学ぼうとしていたら寝てしまった。