大切な一日

毎年8月15日を迎えると先人の遺した大切な命に感謝して今をよりよく生きていこうと気を引き締めます。イスラエルの戦争や靖国問題の再燃もありますが、何よりも今日は平和を祈る為の一日。


僕が生まれた時にちょうど亡くなったおじいちゃんといまだ健在のおばあちゃんから聞いた戦争のお話。


中国大陸で軍医をしていたおじいちゃんは、中国に駐屯している陸軍の部隊に同行していた。中国の湾岸部はまだ日本の勢力圏内で比較的安全、とされ、祖父もやや安心していたらしい。
ある日、同僚と2人で野営地から抜け出し、夜、近くの町に遊びに行ったらしい。戦時中とっても芳しくないことではあるものの、さんざん遊んでこそこそと帰ってくると、野営地はもぬけの殻になっていた。
ふと、嫌な予感がして自分のテントをみると同じ部隊の兵士が冷たくなって倒れていた。他のテントを見ても生きている人は誰一人いない。他の部隊からの情報で中国のゲリラに夜襲を受けて部隊が全滅した、と伝わってきた。このときおじいちゃんは、初めて心の底から「中国人が憎い」、と思ったらしい。
それまで散々遊んでいた中国の人たちも含め、全員殺してやりたい、と心底思った、という。付き合いに長短はあるものの苦楽をともにしてきた仲間を奇襲で失ったその悔しさと悲しみは「戦争だから仕方ない」という「理解」を超えてあの人の中に憎しみを作ってしまった。
「あんのとぎはにぐがっだなぁ〜」とあいかわらずの山形弁で話してたらしいけど、これが戦争なんだな、とこの話を聞いて思ってしまった。


また、おばあちゃんはおばあちゃんで横浜の大空襲の時にアメリカの艦載機に狙い撃ちされたことをよく覚えている。爆弾を落とし終わり身軽になった飛行機は残った銃弾で住民を狙い撃ちにして銃弾を使い切ってから帰っていったという。祖母は焼け野原の伊勢佐木町を逃げながら命からがら生き延びた。正直、愛する祖母を銃で狙う、なんて行為を想像するだけで憎たらしい。でもそんな事実があったこともまた事実だったりする。


こんなことがあり、おじいちゃんおばあちゃんは個人的に大変つらい思いをした。
「じゃあ戦争は良くないね」、だけで終わらせたくない。このお話には続きがある。


戦後、おじいちゃんとおばあちゃんは出会って結婚し、横浜で生活をはじめる。「お見合いよ」とか言いながらおじいちゃんはおばあちゃんのことが大好きだった。
医者とお茶の先生というなかなかおもしろい夫婦。
戦後のもの不足の時代、正常なルートでは薬を買うことができなかった祖父はやむを得ず中華街に頼った。中華街の中国人は商売熱心だったのか親切だったのか、薬を売ってくれた。おじいちゃんもおじいちゃんで彼らの紹介で送られてくるお金のない人達でも嫌がらずに診察したり、変な時間に往診したりと持ちつ持たれつの関係を続けているうちに中国の人とどんどん仲良くなっていった。だから今でも中華街の人はおじいちゃんを知っていることがある。もう少なくなってしまったけれども懇意のお店がたくさんあったみたい。


僕のおじさんはアメリカに行きアメリカ人と結婚した。おばあちゃんはちょっと複雑だったらしい。かつて銃で狙われたあのアメリカ人と息子が結婚するのだから。でも一回会ってからそんなことはお構いなく、いまはあの奥さんのことが大好きだ。電話口で笑顔で日本語で話しているからてっきりむこうが日本語しゃべってるのかと思いきや英語だったらしく、おばあちゃんに「わかったの?」ときいたら「わかるわけないでしょ。でもシェリーさんいい人ね」と。


戦争で中国人が嫌いになった、アメリカ人が嫌いになった。そうだったはずなのにいまではとてもよい関係が築けていることにとても感動した。平和が形になっていく。結局個人じゃないんだな、国なんだな。と思う戦争の功罪の在り処。
当然中国や韓国にも日本兵に同じような苦しみを味わされた人がいると思うし、未だに憎んでいる人もいるかもしれない。でもかつておじいちゃんとおばあちゃんができたようにそういう人たちとも歩み寄って仲良くなっていくことが我々には必ずできる。
だからやっていくしかないんでしょうね。


しみじみと思ってしまった今日という一日。