2時間半で50年もの間親しまれてきた商店街の一区画が灰になってしまった。
燃えたのがほんの1区画だったことが良いか悪いかはさておき、何か心が痛む。


夜9時半ごろ、高台にある僕の家の窓からは火事の様子がよくわかった。
燃える炎、昇る煙、それを消そうとする人たち。


火はどんどん大きくなり、家を飲み込もうとしている。
空気がすすけて臭い。


消防車がひっきりなしにきては時折放水が行われる。
そのたびに火が黒い煙を「ぼはっ」とはいてはまた大きくなる。


放水、膨張、延焼を繰り返して火は何かを訴えはじめる。
それは火が消えるほんの30分前。
窓の外から「ごうごう」と火の燃える音が聞こえ出した。
火までは600mほども離れている。
理科の実験でガスバーナーをつけたときのようなあの音が耳元でする。
「ごうごう」
火は隣の銭湯の煙突の高さに迫る勢いで大きくなっていた。
火が必死に燃えているように見えた。
戦後まもなくできて白楽住民の生活をささえた思い出の場所。
その思い出が重厚な垢となってたまり、燃料になって燃えている。
とてもよく燃える。
盛んに放水がされる、そのたびにまた大きくなる。


思い出=火
放水=新しいもの、侵略者
みたいな勝負に見える。
火は最後まで赤々と猛々しく燃えた。


結局人は死ななかったけどあの一角は見事に火葬されてしまった。
2時間半の無常と50年分の思い出の勝負。